生まれたときから常に競争を意識し、世間様から「団塊世代」などと特別視されながらも、
それらにも懲りることもなく、ただこよなく自然を愛する中年親父の独り言を、
自由気ままに書き綴っています。
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仕事が一段落したので、振替え休日を利用して近くの山へ行きました。
前日は、生憎の天気でしたが明日は晴れるとの予報で今日に決めた。
以前から鐘が坂トンネル氷上側付近から稜線を望むと、岩の上に橋を架けたような姿をしている一寸不思議な光景を身近で見てみたいと思っていたが、氷上側から登る遊歩道が整備されたと知ったので、ここに決めた。
鐘が坂峠は、古来から京都と山陰を結ぶ道で、物資を運ぶには難所で知られていた。明治時代になって、トンネルが掘られた。時代が進み昭和の時代には車が通れる立派なトンネルが掘られた。私も神戸から日本海へ行く時何回も通ったのであるが、その時からこの架け橋が気になっていた。
さらに時代は平成になり、新しく平成のトンネルが完成し、曲がりくねった道路が一本道のようになり、誰も気付かずに通り過ぎるだけとなった。
昭和のトンネルの下には、公園が出来ており、ここから旧道を辿る遊歩道が造られたようです。
案内板が要所要所にあり迷うようなことはない。公園から45分ほど。
鬼の架け橋
思ったより小さいが、覗くと眼下には国道が見える。
近くの一番大きな岩に登れば丹波の山々が見渡せる。
丹波側へ回り込んでみると、大きくハングした岩である。手がかりも多く誰かが登ったのでしょう、頂上にはRCCボルト2本とリングボルト1本が打ち込まれている。
ここから北へ少し登ると「金山城趾」に着く。戦国時代織田信長の旗頭明智光秀が築城したと説明板にある。
なるほど、西側は氷上の黒い城、東側は篠山の八上城が見渡せる。
古来から交通の要所として位置する場所に山城を築いたようで、戦略上重要な峠であったようだ。
さらに尾根を北上すると、鐘が坂峠に降り立つ。
古来から往還する人々が辿ったであろう峠道は、掘り込まれた道であったが、明治以降は利用する人も少なくなり、何時しか消えていく運命なのか。
現在は、杉の植林で一年中薄暗いが、林業の作業道として今も使われて居るのだろうか?
暫く降ると明治時代の道に出る。300m戻ると最初に作られた明治の隧道まで立派な遊歩道が続いている。残念ながらこの隧道は鍵が掛けられ通り抜けることは出来ないが、赤い煉瓦は健在であった。
道沿いに沢山のお茶の木が自生?している。「夏も近づく八十八夜」茶摘みが出来るくらいありましたよ。
峠道には、長い歴史が刻まれており、古来の旅人に思いを馳せる一日となりました。2時間弱の短い山旅でしたが、少しは訓練になったでしょうか。